へなちょこSEの考察

0x22歳のへなちょこSEが、日々思うことを考察します。自社内、金融系を経て現在法人系PKG開発に従事。

努力は必ず報われる、のか?

努力は必ず報われる、と言うことには、賛否両論が聞かれます。
ですがそもそもこの「報われる」の意味が曖昧です。
「求めた結果が得られる」わけではなく、「報いを得られる」わけです。


例えば野球なら、先発ピッチャーになりたいと思って努力してて、「先発は無理だけど頑張ってるし中継ぎなら」って起用してもらえた時、これは報われてはいます。
でも、本人が求めた結果ではない。
「夢が叶った」わけではない。


「努力すれば夢は叶う」には賛同しかねます。
でも、「努力は必ず報われる」は賛同します。
どういった形かは分かりませんが、やったことは無駄にはなりません。


そもそも、「夢が叶わないなら努力する意味はない」と言うのが違うのかなぁと思います。
サッカー選手になれなくても、自分の気持ちに整理がつけられるのであれば、コーチやサポートスタッフだって良い。
それは夢を諦めたわけですが、新しい夢を手に入れたとも言えます。
結局重要なのは、夢が叶うことではなくて、夢が叶うことで得られる自分の幸せなんじゃないかなぁと。
夢が叶わなかったからってダメな人生じゃないし。


ただ、そうは言っても一つだけ言えること。
「努力しないと夢は叶わない」
もっとも、本人がそれを努力と思うかは別ですけど。

実践することの大切さ

システムエンジニアをやっていると、1日中パソコンと向かい合って、誰ともまともな会話をせずに終える、なんてこともままあります。
場合によっては1日中パソコンと会話してる(ぶつくさ独り言を言いながら仕事してる)なんてことも。
はたから見ると、なかなかに危ない人です。


SEにもいろんな立場や職種があるので一括にはできませんが、そうやって仕事してるので喋るのが苦手という人や、苦手になっていく人もいると思います。
それでいいや、と思っている人もいるでしょう。
自分は技術で食っていくから喋りのテクニックなんていらない、とか。


まーそうは言っても、当たり前ですが喋れるに越したことはないわけです。
自分も出来れば喋れるSEになりたい。
とはいえ、なかなか一朝一夕に身につけられるものでもない。


そんな中で、最近はお客さんのところに行く機会を多く与えてもらってます。
「習うより慣れろ」とは良く言いますが、頭で理解するより、実践してみることで身体に染みつく、というのは間違いないなと思います。


プログラミングも、本を読んで勉強するより、実際に書いてみた方が分かるようになる。
なんだ、それと同じじゃないかと。


ま、言うは易し、行うは難しで、なかなか上達していかないのですが。
継続は力、という言葉を信じるしかないですね。

分からない人に分かるように教える

同じチームに後輩がいて、去年入ってきたばかりの子なのでトレーナーとしていろいろ教えています。
社会人のマナーから資料の作り方、当然SEなのでプログラミングとか技術系のことも。
その中でもやはり技術系のことを教えるのが難しいですね。


昔からある程度プログラミングに触れてきた子なら、下地があるので楽なのですが、まぁそんな子はなかなかいません。
全く知らないところからスタートすると、いわゆる「何が分からないのかが分からない」という状況になります。


さてそういうときにどう教えるかですが、僕はなるべく放置します。
「何が分からないのかが分からない」というのは、意外と何年経っても出くわす状況で、それを自力で越えられるかどうかが重要だったりします。
周りに頼れる人がいない時に、何もできなくなってしまっては意味がないわけです。


そうすると、「何が分からないのかが分からない」をまずは脱却しなければならない。
そのためには、「分かっていないことと分かっていることを整理する」ことが必要になります。
それらを並べた上で、どこから調べるか当たりをつけていく。
この時の当たりをつける箇所の探し方は、経験が物を言うのでアドバイスも可。
でも、今の状況を整理するのは、基本的な能力なので、体に染み込ませなきゃいけません。


なので、基本的には放置します。
放置して、悩ませて、分かってない状況で聞きに来たら「『何が分からないのかが分からない』じゃ分からない」と追い返します。
隣で見てて「あーここで悩んでるな、あれをこーすりゃいいのに」と思っても言わない。
スパルタです。笑


一通り整理がついたら(多少まだ雑なところがあっても)、そこから教えます。
自分の頭で悩まないと、仕事は身に付きません。
とはいえ悩ませてばかりでも仕事が進まないので、ヤバそうなときは手を貸します。
その辺のバランスが、まだまだ探り探りです。


自分の下についたからには、今後イチサラリーマンとして恥ずかしくないレベルの仕事ができるようになって欲しい。
その時ついでに、「あいつにいろいろ教わったのか、なるほどね」と周りの人に納得させられる自分でありたい(さらについでに人事評価も上がってほしい笑)。


何より彼が成長すれば自分も成長できるので、そのためにも頑張りたいですね。

見つめ直すこと

ほぼ毎年お声掛け頂いてるのですが、この時期には会社の採用協力をすることがあります。

といっても面接をするのではなく、実際に働いている社員として、学生さんの質問に答えるというオシゴトです。
自分としては気軽におしゃべりしに行くぐらいの気持ちで引き受けているのですが、意外に協力してるコチラ側にもメリットがあるんですよね。

当然学生さんからはいろんな質問が来て、「仕事のやりがいは?」とか「人間関係はどうですか?」とか「会社の好きなところと嫌いなところは?」なんてあたりが良く聞かれるのですが、こういうのって普段は意外とちゃんと考えてないんですよね。
漠然と思いは持っていても、言葉にはできないというか。

それが、その場では言葉にして伝えなければならないので、自分で自分の気持ちを分析して、言語化しなければならない。
そうすると、自分でも思いもよらない意外な答えが見つかったりして、それを仕事や日々の生活にフィードバックできるんです。

本当は、そんな場面でなくても、コンスタントに自分の気持ちを整理したり、今置かれている状況を分析することをするべきなのですが、なかなか忘れがち。
それを思い出させてくれる場として、とても良い機会だったりします。

ということで、採用協力の誘いを受けた方は、めんどくさいと思わずに一度やってみることをオススメします。
今のワカモノとのジェネレーションギャップにも気付けて楽しいですし。笑

採用協力に限らず、一つのところにとどまって、一つの視点だけで仕事をしていると、考えも凝り固まりがちなので、なるべくいろんな仕事や、いろんな立場の人とはなすようにしたいですね。

何を売っていくか

お金、欲しいですね。
お金が欲しい、もしくは必要であるために、労働によって対価を得るわけですが、何を売るかというのはいくつか方法があります。

一つにはモノを売る方法。
自分が作ったものを人に売ってお金をもらう。

もう一つは時間を売る方法。
労働そのものを売ってお金をもらう方法です。
アルバイトとかもそうですが、一般的なサラリーマンもこちらですね。

モノを売る方法では、作ることさえできればいくらでも稼げます。
しかし、売れなかったら、一銭も得ることができません。
時間を売る方法は、必ずお金がもらえます(サービス残業とかは除きますが)。
しかし、もらえるお金に限りがあります。
自分が働ける時間以上はお金を得ることはできません。

会社という組織は、基本的にはモノ(サービスを含む)を売ることでお金を得ています。
しかし、そこで働く人は、時間を会社に提供してお金を得ています。
ここが非常に面白い。
もっとも、時間を売るのもサービスの一種と考えれば、結局のところモノを売るのと同じスキームで考えることは可能です。

さて、何を売るにしても、他の人と同じことをしていては、そのモノに価値はありません。
他の人からも買えるなら、なるべく安いところで買うのが当たり前。
買ってもらうには、安いか、他では買えない価値があることが必要です。
特に最近は、アジア各国の製品も十分実用的なものが多いですから、日本製を買ってもらうことは難しくなっています。

個人のレベルでも、よりよい給料を貰いたければ、他では買えない価値を自分が提供できるとアピールしなければならない。
それも、今日はその価値が高くても、明日は安くなってるかもしれない。
常に自分の価値を高める努力が必要です。

話がとっちらかっちゃいましたが、もーすぐ会社につくのでこの辺で。
気が向いたら書き直します。

これしかできない←→なんでもできる

一つのことをコツコツ続けるということは、しばしば賞賛される行いとされます。
職人的な、「これしかできない、でもこれなら誰にも負けない」というのは、姿勢が真っ直ぐでカッコよくもあります。


ただ、一つのことしかできないというのは、一般的にはリスクです。
サッカーしか出来ない人が、怪我をして途方に暮れるとか、仕事一筋だった人が退職してからやることがなくなり気力を失うとか、その柱が折れてしまった時にどうするのかというところがあります。
会社でも、事業が一つしかない会社は好不況の波に飲まれがちです。


ただ、じゃーなんでも出来るようになれば良いかと言うと、それもまた一本一本が細くなるのですぐ折れてしまう。
それでは意味がないわけです。


また、一本だけだとしても、それがすごく太くなっていればちょっとやそっとじゃ折れないわけです。
先の例だって、サッカーをプレイ出来なくても、コーチにはなれるかもしれない。
サッカー用具の開発でサポートすることも出来るかもしれない。
退職後だって、仕事の経験を活かして若手の育成をするなんてこともできる。


結局、大事なのは一本でも二本でもいいから、自分を支え続けられる柱を作れるかどうかなんでしょうね。


100人に一人の人材になり、それを二分野で達成すれば、100×100で10000人に1人の逸材になれる、なんて話がありますが、まさにこれが柱なのかなと。
一本で十分な太さに育てられないと思ったら、二本目を育てればいい、と。


さて、自分の柱はどんなかなぁ。

具体的な指示が良くない理由

なるべく具体的に指示を出しなさい、と言われることがあります。
具体的にすれば、指示を違えることがないからだと思われます。


確かに、作業は間違えないことが重要で、コミュニケーションの齟齬による作業ミスなんてのは防ぎたいものです。
ただ、あんまり具体的すぎても良くないのかなと思ったりもします。


具体的な指示は、その通りにやればよいということになるため、作業者に考えることをさせません。
場合によっては、自分では考えるなと言われることすらあります。
これでは作業品質は上がるでしょうが、作業者のスキルが上がりません。


時と場合によるものだとは思いますが、作業指示で必要なことは具体的な指示ではなくビジョン、目的の共有なのではないかなと思います。
最終的な到達点が合意できていれば、別にそこに行くための手段は問わないわけです。
散歩を兼ねて歩いて行ってもいいし、ちょっと遠回りだけど電車を使うということだって(時間やお金の制約の範囲内であれば)問題ありません。
「なるべく早く」という制限があれば、お金はかかるけどタクシーという手を使っても構わない。
その辺の意識さえ合っていれば。


自分で考えられない社員が増えた、といろんな社長さんが思っているそうです。
これは「やり方」を教えて「考え方」を教えてこなかったということが一因かも?
後輩を教えるときは、その辺を意識して教えていきたいです。